Code orangeの洗礼

オランダでは巨大ハリケーンCiaraのためにCode oranje(上から2番目の危険度)の警報が出て、昨日からあちこちで強風による被害が出ています。今朝は風は強いものの雨は止み、青空もちらほら覗いていたので、予定通りアムステルフェーンでやっているレッスンへ出かけて行ったのですが、、、。

とんでもない洗礼を受けてしましました。

まあまず、駅に行くまでにかなりの体力を消耗し何度も自転車ごと横だおしになりそうなところを必死に耐え、息も絶え絶え駅に到着。

万一に備えて1本早い電車に乗ったのが運の尽き、降りる予定の駅寸前でテロを彷彿させるような爆音と大揺れのあと、電車が線路の真ん中で突如停止してしまったのです。

何が起こったの?

これ、銃の音?

何、外から撃たれてる?

とにかく身を伏せる乗客、逃げようと出口に向かう乗客、一瞬車内は騒然としました。

しばらくして車内放送が入り、電車を走らせる上部電線(電気系統システム)が強風のため壊れてしまったのでこれ以上先には行けない、というのです。

あ〜あ、やっぱり。

とりあえずテロではないことがわかりホッとしたものの、これから先どうなるのかは依然とわからず、とりあえずは次の指示を待つしかない状態。

10分、20分、30分とたっても何も変化なし。

そのうち、「すぐには直せない状況なので何かしらの方法でこの電車から脱出してもらうことになると思います」とのアナウンスが。

最初は1時間もすれば解決してレッスンにも間に合うと思っていたのですが、そんな淡い希望も打ち消されてしまったので、気持ちを切り替えて今日のレッスンはすぐにキャンセルし、持ってきていた本を読みながら進捗を待つことに。

そのうち1時間たっても何も変化がなく、私もいささか不安に。

周りは、というと、仕事先に連絡したり、パソコンを開いて今できる仕事を始めたり、文句を言い出す人、イライラする人、パニックになる人は誰一人いませんでした。この電車はスキポール空港行きだったので、スーツケースを持って乗り込んでいた乗客もたくさんいましたが、そういう人たちで慌てたりしている人も見受けられませんでした。

NSやProrail(鉄道会社)の人たちも、けが人はいない?と心配して見回りに来てくれたり、換気のために窓を開けには来てくれたけど、「申し訳ない」「ご迷惑かけてすみません」という気持ちは微塵も見られず(笑)「自然災害だから仕方ないわよね」くらいの勢いでただ淡々とやるべき仕事をしている感じでした。

これ、日本だったら、「ご迷惑おかけしております」という言葉からアナウンスが入り、車内でも理不尽に起こったり文句を言い出す人がいそうな気もするんですが、、、。

そうこうするうちに車内に閉じ込められて2時間が経ち、周りも少しガヤガヤしてきた頃、やっと隣の線路に救出のための電車が止まってくれました。と言っても、通常運行している電車を停めて乗客を移すのですからすでに乗っている乗客もいて1台では全乗客が移動できるわけもなく、私は2台目を待つことになりました。

それから程なくして2台目のevacuation train(車掌さんがそう呼んでいました)が到着し、私もやっと外に出ることができました。車内を歩いて出口へ向かう途中、粉々になったガラスの破片と割れた窓ガラスを見てびっくり。強風で何かが飛んできて窓ガラスに激突したのでしょう。あの爆音はこれだったのか!とその時納得したのでした。

そして、2時間ぶりに外の空気を吸い、線路の上をスタンドバイミーさながらに歩きつたってevacuation trainに乗り込みました。その時に見た、あの爽快で解放的な景色をわたしはきっと忘れないと思います。

ほとんどの人が私と同じことを考えたのか、携帯を手に、人生でそうないであろうこの経験をビデオに撮ったり写真に収めたりしていたのが印象的でした。

evacuationなんて、現役CA時代に訓練でやった以外、幸いにも乗務では経験しませんでしたが、まさかここオランダで経験するとは。そのevacuationという単語に体が異常に反応してしまい無駄に緊張してしまいました。

evacuation trainにのって、降りる予定だった駅に降り立ったまでは良かったのですが、そこからユトレヒトの帰るのがまた一苦労で。

通ってきた線路はすべて通行止め、軒並みユトレヒトへ戻る電車がキャンセルとなっていました。仕方なくインフォメーションで可能なルートを聞き、2駅先まで移動して、そこから各駅停車に乗り換え。かなり遠回りをし、やっとの思いでユトレヒト駅に到着したのです。

今朝、電車に乗ってから約5時間、レッスンはキャンセルしてしまったものの、車内で本を一冊読み、国民性の違いをまざまざと見せつけられ、また、オランダ人の優しさにも触れ(オランダ語だけの車内放送を英訳してくれました)、線路の上を歩きながら青空を見上げたりと、この5時間はけっして無駄ではなかった、、、と思いたい(笑)

だって、ほら、ブログネタが1つできたし(笑)

少なくとも、また1つ経験値が増え、無駄に不安になったり慌てずに平静を保てた自分を褒めよう、と無理やり前向きに今朝の出来事を振り返えったのでした。

そしてオランダ語、少しでも聞けて読めて話せて良かった。それだけで平静って保てるものだなって思いました。

実は、今日は熱を出して学校を休んでいる長男を夫に預けてレッスンへ出ていたので彼の様子が心配だったのです。もし事態が長引いて家になかなか帰れなかった場合、不安症の彼がどんな反応をするのか。(実際、ママの緊急事態を夫から聞いた息子は、心配と高熱で今にも泣きそうだったそうですから)

帰宅して真っ先に息子の部屋へ行ったのですが、帰ってきたことがわかった安堵感からか、それともパラセタモールが効いてたのか、比較的落ち着いていて冗談の1つも言える様子で安心ました。

そのやりとりで私もやっと笑うことができ、この一連の出来事を笑って済ませることができたような気がします。

「先生のレッスン楽しみにしてたので残念ですが、次回まで待ってます!」と言ってくれた生徒さん、すみませんでした。そしてありがとうございました。

いい教訓になりました。Code Orangeを甘く見てはダメですね(笑)

結果的に大事に至らず、落ち着いた乗員乗客の行動で無事に帰路につくことができましたが、あの缶詰状態、軟禁状態はやはりもう嫌ですね。

今日、私と同じ経験をした他の乗客のみんなが、後半の今日という日を楽しく平和に前向きに過ごせていたらいいなと願うばかりです。

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新月デトックスで風邪治療

長かったお正月休みから日常に復帰するのに1週間かかりました。そしてやっと時差ぼけから解放されたと思ったら、それまでの無理がたたったのか今度は風邪をひきました。

なんでこの忙しい時期に!

思わず日本で買ってきた、優秀でしかもよく効く風邪クスリを飲んでしまおうかと思いましたが、いや、もうすぐ新月だし、このタイミングでデトックスをして自力で治そうと思い直したのです。

風邪のせいで普段より食欲はなかったし、お正月の暴飲暴食もついでにリセットしてしまおうと。

今回は葛デトックスではなく、大根の煮汁でデトックス。

オランダ、特に日本の食材が簡単に買えるところに住んでいない我が家では、大根はとても貴重な食材。

体に優しいものが食べたい、大根があったらいいなぁ、でも我が家の近くのスーパーでは売ってないし、わざわざ遠くまで買いに行く気力も体力もないなぁ、とぶつぶつぼやいていたら、夫が仕事帰りに買ってきてくれたのです!

そうそう、2020年になってから夫がやたらと優しくてちょっと気持ち悪いくらいなんですが、もうこういう時は素直にありがとう、って言うに限ります。その積み重ねでもっともっと優しくしてもらおうっていう魂胆(笑)

で、その大根を1.5センチ幅くらいに切って昆布と一緒にコトコト煮ます。そして途中で梅干しを投入。その煮汁がデトックスにとても良いそうなんです。

詳しくはこちらを参照してください。

友人はその煮汁をデトックス3日目に飲んだらしいのですが、お腹にはほとんど固形物はないのに、宿便がすごかったらしい(笑)

たっぷり2本分の大根を煮て、梅干しも4つくらい入れました。そのあつあつの煮汁を新月の朝と昼に分けてたっぷり飲み、ほかはノンカフェインのお茶、そしてたまにマヌカハニー。

この煮汁が意外と美味しくていくらでも飲める。その日は土曜日だったこともあり昼からは家事と子育ては夫に任せて寝かせてもらいました。

特に体調がイマイチの時は、食べ物を消化する方に酵素(エネルギー)をつかうより不調を改善する方にそれを使うのが正しいと思います、ぜったいに。

最近では夫も体調の悪い時にはデトックス、を実践しています。夫がデトックスの時は食事の支度が楽だから妻としては嬉しい限り。ついでに言うと、私がデトックスしている時は食事の支度が苦痛なので夫に頼んだり、夫も一緒にデトックスに巻き込んだりしてます(笑)

たっぷり睡眠を取って、デトックスで胃を休めたこともあり(あ、もちろんお腹もスッキリですw)翌朝は体調がかなり回復していました。お肌もツルツルだったし体も軽い。プチデトックスとはいえ、やはり新月のタイミングでのデトックスは体にもお肌にもいいことだらけです。

ちなみに、デトックス翌日のきょうは肌の調子が良かったのでさらに泥パックもしてみたら、息子に「ママ、まだお化粧してるの?」って言われちゃいました。すっぴんでも肌がお化粧してるみたいい綺麗だったらしいです。

この大根と梅干しを使ったデトックスは、本来プチ断食をした後の方が宿便が出やすくて良いそうなのですが、1日目はこの煮汁のみ、2日目からは煮た大根も食べる、というふうにしてみてもデトックス効果はあると思います。私はこのパタンでやりました。

新月は余計なものが体から出やすいタイミング。たまに忙しくて忘れてしまうこともありますが、これからも新月デトックスは美容のためにも健康のためにも続けていきたいですね。

だしでゆっくり煮た大根、我が家はおでんとして美味しくいただきました。オランダで売っているしなびた大根でも、こうすると本当に美味しくいただけます!

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ガッツポーズで迎えた2020年!

2019年、大晦日の夜、恒例の紅白歌合戦を子どもたちと一緒に見て過ごした私は、日付が変わるその瞬間をガッツポーズで迎えました。

やっと2019年が終わった!

2019年は、私にとって体も心も本当にいろいろあった受難の年でした。やることなすことすべてに横から邪魔が入る、うまくいかない、しょっちゅう怪我や体調不良に悩まされる。常に緊張状態にあって、心休まる日がほとんどなかったように思います。

とはいっても、オランダ移住4年目の2019年は試行錯誤のなかでピラティスのレッスンもなんとか軌道に乗せ、おかげさまで生徒さんも増えました。新しい出会いの中で自分がここオランダでできることを再確認し、自分の世界をまた1つ増やすことができたことは自信にもつながりました。

オランダ語では、自分で設定した目標のためにコツコツやってきた結果、その目標を無事クリアすることができました。まだまだ先の長いオランダ語習得の道ですが、2020年はもう少し実践的に、そして楽しみながら(これ重要)次の目標にむけて頑張ろうと思います。

2019年はオランダ移住1年目を彷彿させるようなストレスの多い1年ではありましたが、その時と確実に違ったのは、私のマインドでした。つぎつぎにやってくるストレスの攻撃をまともに受けてダメージを受けるのではなく、その捉え方を変えたり無駄に抗うことをやめたりすることで、大きなダメージをかわせるようなっていました。

また、母や妻という世界だけでなく家庭の外に「ピラティス」という自分の世界を持ったことも大きかったと思います。私を頼ってきてくれる生徒さんのために、いま自分にできることをただ地道にやってきただけですが、それが結果的に心のバランスをとる安定剤となり、さらに技術を磨いたり知識を増やすモチベーションになっていました。

「自分軸」で生きること、心(感情)はコントロールできること、を学んだ1年だったとも言えるかもしれません。

そんな2019年も幕を閉じ、待ちに待った2020年が幕を上げました!

今年は「自分軸」はそのままに、さらに行動範囲を横にも上にも増やしていきたいと思います。

オランダ移住も2020年春で5年目に突入です。

オランダで暮らすことは「手放しに幸せ!」とは言えませんが、生きやすくするもしないも自分次第という気持ちは年々強まっています。そのためにもオランダ語の上達はいうまでもありませんが、失敗を恐れず、「内」ではなく「外」の世界にもっと出てみようと思います。

40歳をすぎても自分の可能性にワクワクするなんて、海外移住も悪いことばかりではないし、自分のマインドコントロール術をブラッシュアップできたと思えば、最悪だった2019年も意味があったんだと無理矢理ポジティブに捉えることもできます(笑)

あ、ちなみに今日初詣で引いたおみくじは、夫婦揃って「凶」でした(笑)

これより「下」はないんだから明日からは上り坂、夫婦で掛け合わせればプラスだね、ってめちゃくちゃポジティブに思えたのも、一筋縄ではいかないオランダ生活の賜物かもしれません。

今年も心に響いたことや残しておきたい気持ちの備忘録として、つれづれなるままにブログを更新していこうと思います。

それではみなさま、今年もよろしくお願いいたします。

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病気の時でも「言わなきゃはじまらない」のがオランダ

約10日に及ぶ次男の看病からやっと解放されました。

解放された嬉しさよりも、元気になってくれたのが本当に嬉しくてホッとしています。またあの子の笑顔が見れるのがこんなに嬉しいなんて。それほど、今回はきつくてとても辛そうでした。

最初はただの風邪、もしくはインフルエンザだと思っていましたが、結局、咳がひどいく熱が1週間も下がらなかったので肺炎に使われるペニシリン系の抗生物質を処方されました。そして飲み始めて2日目くらいから効果が出てきて、今日から元気に学校へ。

前のブログでも書いた通り、今回は珍しくハウスアーツへ連絡をしました。いつもハウスアーツへ行くときはあらかじめ想定される病名や気になることを調べてから行くのですが(そうしないと、症状だけ訴えてもパラセタモールだけで帰されることもあるので)、今回ももちろんそうしました。

今回は熱が3日以上続いた時点でおかしいと思っていて、さらに咳がひどくて咳き込む、呼吸が苦しそう、という症状があったのでまず肺炎を疑い、それには抗生物質が必要でその種類は何か、まで調べていきました。

案の定、肺の音を聞き、変な音はしないので肺炎の疑いはないと言われましたが、すでにその時点で5日も熱が続いていることを訴え、抗生物質を処方してもらいました。が、夜の診察だったためにすでに薬局は閉まっており、仕方なく翌日朝一で薬をもらいに行きました。

抗生物質がすぐに効かないことは知っていましたが、あいかわらず次男はぐったりしていて咳もひどく、気が気でない。そうするといろんな不安材料が次から次に浮かんできて、次男の咳は乾いた咳(肺炎の咳はもっと水っぽいらしい)だからこれは肺炎ではないのでは?この年齢ならふつうの肺炎ではなく日本でよくその名前を聞いていたマイコプラズマ肺炎の可能性の方が高いのではないか?といてもたってもいられなくなるのです。

今の世の中、なんでもインターネットで調べることができますが、いろいろな情報が溢れていて、下手をすると「ただただ不安になるだけ」というデメリットも。

まさに私がその状態でした。

マイコプラズマだったとしたら今飲んでいる薬は効かない。病原菌に適した薬さえ飲めば2〜3日で症状がよくなると書いてある。一刻も早く楽にしてあげたいと思えば思うほど疑心暗鬼になり、不安で仕方ありませんでした。

さすがに1日は様子を見ましたが変化がないので、翌日またハウスアーツへ連絡

でも、受付の人の答えは「処方した担当医に確認してから折り返し電話をする」というもの。

そんな悠長に待ってられいられない!

そうしたら電話をかけた夫が、「どんどん衰弱していく息子が心配なので実際に診て欲しい」と食い下がってくれ、ラッキーなことに20分後に予約を取ることができました。

やっぱりオランダは1回目で引き下がってはいけないんだなぁ、なんでも言ったもん勝ちなんだ、と改めて思い知らされました。

そして、薬を処方してくれた人とは違うハウスアーツに呼ばれ診察室にはいると、

「で、、、何かしら?」

「、、、」

日本なら「どうしました?まだお熱あるのかな?何かあった?」と息子の様子を診てくれそうなものですが、全くそんなそぶりはなく「すでに薬も処方してるけど何か?」的な(もちろん優しい眼差しだったけど)。

しばし沈黙があってから、おっと、これはここにきた経緯を話さないと先に進まないパタンだ!と気付いて、あわてて昨日までの経緯、症状が良くならない、病気の診断が違うのではないか、その場合はこの薬ではダメなのではないか、それを相談してくてここに来た、と説明。

そうしたら、

ハウスアーツ「それはいい考えね。で、どうしてその病気だと思うのかしら」

わたし「咳の種類が違う気がする。日本ではこの年齢だと冬にマイコプラズマ肺炎が流行るから息子もそれじゃないか。」

ハウスアーツ「最近日本へ行った?そうでなければオランダではマイコプラズマ肺炎は本当にわずかしか発症しないわ。本当に数%よ。彼を見る限り、昨日処方した抗生物質が一番適していると思うの。実際、昨日より若干だけど熱が下がっているようだし、もう少し飲み続ければきっとよくなるわ。大陸によって流行る病気(病原菌)も違うのよね。心配ないわ」

ハウスアーツ「納得してくれた?ほかに疑問点、質問はある?」

わたし「あ、、、ないです。では、そのまま薬を飲んで様子をみます」

こんな感じで私のモヤモヤは一応なくなり、もう少し様子を見ていようと納得して帰宅しました。その時感じたのが、日本に住んでた時に果たしてこんな風に医者と対等に話をしてきたかな、ということ。

とりあえず医者のいうことを鵜呑みにし、出された薬を飲み、治らなかったらまた病院へ。薬を飲んで少し良くなってもすぐにぶり返し、冬はとにかく小児科、耳鼻科になんど通ったことか!

思いっきり受け身だったなぁと。

オランダのハウスアーツが頼りない(以前、水疱瘡の診断の時も私がその病名を出さないと思いつきもしなかった若いハウスアーツがいたので)というベースもありますが、病気の対して主体的に関わって(調べすぎて不安になるのはどうかと思いますが)、医者の診断を批判的に受け取ってなかったのは事実です。

もちろん、日本でもわからないことは聞いていたし病気のことをネットで調べたりもしたことあるけど、基本的に医者の言うことに疑問を持つことは少なかった気がします。

今回は私が過剰に不安になっただけで、結局は診断は合っていたのですが、こうしてハウスアーツに疑問をぶつけてそれにちゃんと答えくれたあのやりとりは、とても有意義だったな、オランダ的だな、と思いました。

日本では冬に流行る病気でも、オランダではそうとも限らない。確かに、大陸、国ごとに同じ症状でも疑われる病気は様々。1週間熱が下がらないのがフィリピンなどの東南アジアだと、テング熱など他の感染症を疑うそうですから、頭を切り替えないと!

今後のためにと、ハウスアーツにTHUISARTS.NL という便利なサイトを教えてもらいました(ちなみにこのサイトはオランダ語のみ)。このサイトでは気になる病気や健康について、医師からの信頼のできる情報が手に入るそうです。今まではまず日本語で検索をかけていましたが、今度からはこのサイトを使って気になることを調べてみようと思います。

まあ、このサイトを利用する機会が訪れないに越したことはないのですが、、、(汗)

疑問に思ったら、意見があったら自ら動く。

何事も言わなきゃわからない、伝わらない。

ハイコンテクストな日本に住んでいた時は気にもしなかったことが、オランダではいろんな場面で必要になってくる。それが病気にかかった時も、となると気が休まる時がありません(苦笑)

何はともあれ、息子はまた免疫がついて病気に強くなりました。私もまたひとつ経験値が増えたと思えば、今回のことも何も悪いことばかりではないのです。

ただ、この寒くて暗いオランダの冬は何もなくても気の滅入る季節なので、もうしばらくはハウスアーツにお世話になるようなことのないよう祈るばかりです。

日本への一時帰国まであと1ヶ月を切りました。どうか、どうか、誰も病気になることなく無事に帰国できますように!(ほんと、12月は毎年ヒヤヒヤして心臓に悪いw)

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オランダ医療システムの好きなところ嫌いなところ

今年もシンタクラースがやってきました。

我が家では、長男は今年はシンタクラースもサンタクロースも卒業しましたが、弟は絶賛盲信中とういうことで、毎日シンタクラースの動向に目が離せません。

なのに!その次男がこの寒さのせいか、先週の金曜日から高熱を出しております。咳もひどくて夜も寝られず目の下にクマまで作って本当に辛そう。

基本的にただの風邪であればハウスアーツには行かず、家で様子を見て過ごすのがオランダ流。もちろん我が家も風邪ごときではハウスアーツへは行きません。以前インフルエンザの疑いがあった時も、検査も何もないうえに、おそらくインフルエンザだから家に帰って寝ててください、といわれておしまいだった経験もあります。

なので、熱が続いていたとしてもインフルエンザだったとしても家で看病するつもりでした。ただ、今回は咳がひどい!! 胸もゼーゼーして呼吸も苦しそう、咳き込みながら苦しくて泣きながら、しまいには咳き込み過ぎて吐くしまつ。

こんなの初めて。

さすがに母の直感というのでしょうか、「肺炎」の二文字が頭に浮かびちょっとしたパニックに。

まさか!? でも可能性はある。

一度気になってしまうと心配で心配で落ち着かないので、万一に備え、次男を抱きかかえながらハウスアーツへ電話をいれました。

そうしたら受付の女性の第一声が、「今日?今日の予約?」(何で今頃電話してくんのよ、的な迷惑そうな声)

この時点で14時過ぎ。

そんなね、あなた、子どもを病院へ連れて行くのに前もって予約なんてそうそうできませんよ。だって急に容態が変わるし明日とかまで待ってられないから電話してるんですから!

カチンとしながらもその受付の人にアレやコレやと病状を聞かれ、質問に答えたあと、「う〜ん、どうしよう」と唸る声。

え?何?予約入れてよ!できないの?医者でもないくせに患者をふるいにかけないでー。

私のこころの声が聞こえたのかどうかは知りませんが、しぶしぶ、何とか夜の予約をいれてもらえました。

辛そうなの!5歳なの、まだ。いつもの風邪と違うの!

そうやって少しオーバーに言ってみたのが良かったのかもしれません。ほんと、オランダでは少々オーバーに訴えないと何事も取り合ってくれません、、、。

オランダの医療システムは合理的だし、必要な医療を必要な人に、の原則で無駄に病院で薬を出すこともないし無駄に病院にたむろすることもない。必然的に自然治癒力を高めるしか無くなるので嫌いではないのですが、ここぞというときにすぐに、ダイレクトに医者に見てもらえないのはちょっと歯がゆいです。

私は、肺炎の可能性があったのでそれだけ見れもらえれば良かったのです。その疑いがなければ、おとなしく家で寝かせておくんだから。

そして、先ほど診察を終えて帰ってきました。

結果は、肺炎の疑いは今の所ないとのこと。ただ、高熱が5日以上続いているので明日以降も病状が回復しない場合に備えて、珍しく抗生物質が処方されました。

まさかここまでしてくれるとは思ってなかったので、ちょっとイメージアップ。

どうせ、もう少し様子見て良くならなかったらまた予約してきてね、と言われるのがオチかと覚悟していたので。

今回のハウスアーツは(我が家は一応、担当ハウスアーツがいますが、その時その時で空いているハウスアーツに回されます)、最初から親身に話を聞いてくれて、もう何十回も聞いたであろう風邪の一般的な症状を聞かされても優しく共感してくれ、万一に備えて薬も出してくれました。

電話した時の悪印象から一転、本来なら仕事を終えていたであろう時間に診てもらえたことに感謝しかない、温かい気持ちで帰宅することができました。

帰宅してホッとしたのか、当の本人も少し顔色が良くなり(相変わらず熱もあって咳もひどいのですが)、靴に人参を入れ、シンタクラースとその馬オーゾースネルがやってくるのを楽しみに、布団に入りました。

私も心配のタネが減り、ホッとしてお腹が空きました。それまでは心労からか全く食欲がなかったので。

もう、あんなに小さい子があんなに苦しそうに咳をする姿は見たくありません。変わってあげたくても変わってあげられない。でも安易に薬に頼るのも免疫力を下げてしまうので、ここは親としてぐっと我慢。とりあえずは明日まで様子を見てみようと思います。

そして、人参をお菓子にすり替える重大な仕事もしなければ。

明日の子どもたちの喜ぶ笑顔が楽しみです!

長男はいろいろわかってしまってますが、お菓子とプレゼントのために弟を全面的に盛り上げてくれていますw

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ついにやってきてしまった、middelbare school というフェーズ

きのうの夜は長男のクラス懇談会でした。

いつものように夜20時という、日本では考えられない時間にぞろぞろと保護者が学校に集まり、コーヒー、紅茶、クッキー片手に談笑しながら始まるのを待ちます。

次男の時は不参加の親も結構いましたが、さすがにグループ7にもなると進学に関する話もあったりするので、さすがのオランダ人もほとんどの親が参加していたような。

グループ2の次男の時は私だけがさらっと参加してきましたが、今回は夫も連れて2人で参加。夫はオランダ語ができないので参加したところで何も理解できないしヘルプにもならないんですが、昨夜は進学に関する話や、その他にも大事な話がありそうだったので雰囲気だけでも感じてもらうために同席してもらいました。

懇談会では、当然、終始オランダ語で会話が進んでいきます。

よって、全ての話は理解できませんでしたが(汗)、

とりあえず大事なところは抑えたかな、、、。

なんとなく、

今までよりも勉強が難しくなってきた、とか

自分で計画を立てて勉強を進めていく、とか

新しい学習方法を取り入れてやっている、というような内容でした。

進学を見据えた学年になるので、ある程度、勉強が大変になることは予想していましたが、それよりも印象的だったのは「自主的に、そして自立して学習を進める」ことに重点を置いていることでした。

何をどれだけやるのかは決められていますが、それをどういう風にどのペースでやっているかは個人に任せられているようで、各自が学習内容を管理して期限内に終わらせるシステムのようでした。

さらに、「協力して学ぶ」ことも大事な要素のようで、

答えがわからない時、質問がある時にすぐに先生に聞くことをせず、まずは自分で調べる考える、次に同じテーブルの子に聞いてみる、それでもわかる子がいない時には他のテーブルの子に聞いてみる、先生に聞くことは最終手段のようで、そうやってお互いが協力して答えを考える、見つけるというプロセスを重要視してるようです。

このあたり、日本の学校で先生から一方的に授業を受け、答えを丸暗記して試験に臨んでした私の時代とは随分異なるな、と思いました。

そういえば、さいきん長男は自分のスケジュールを自分で管理し始めました。

うちは日本語の勉強もあるし、サッカーの自主練やギターの練習もあるのでそれらを毎日少しづつ出来るようにスケジュールを組んでいます。

もちろん、オランダ語もネイティブの子に比べるとハンデがあるので、ネット上の教材で自主学習させています。

そう、宿題のないオランダに住んでいても長男に限ってはほぼ毎日やることがあるのです、可哀想ですが、、、。

一緒に作ったスケジュールですが、最近はそれを自分なりにアレンジしてやりやすいようにし、しかもちゃんとこなしています。

1日は「何もしなくていい日」を作って上手に息抜きもして。

今までは忘れていたり、やらなくて怒られてゲーム禁止になったりもしていて、なんでこんなに注意してもやることをちゃんとできないんだろう?とイライラしていましたが、最近は渋々ながらもきちんとやっています。

これも、学校での「自立を促すエクササイズ」のおかげなのかもしれません。

オランダ語は完全に聞き取れないながらも、そうかそうか、とひとりで納得してみたり。前よりも懇談会も参加する意味がでてきました(笑)

夫が「なんて言ってるの?」と、しょっちゅう聞いてきましたが、私も必死に聞いてないと聞き取れない、通訳なんてしている余裕はない!ということで、ほとんどそういうのは無視してました(笑)

 

そして、後半はmiddekbare school という日本でいう中高に当たる中等教育への進学のはなし。

オランダではbasisschool(小学校)を卒業する時に、大きく分けて3つの進路に分けられます。

それが、大学まで進学する6年間のコース(VWO)、職業大学に進む5年間のコース(HAVO)、専門学校へ行く4年間のコース(VMBO) なのです。

オランダは学区制ではないので、グループ8のときに担任の先生と相談してどのレベルのどの学校へ行くのかを決めるそうです。もちろん成績も重視されますが、学校によってはアートやスポーツに強い学校、メディア関連の就職先が多い学校など、学校のカラーもいろいろなので、子どもの興味にあった学校選びというものがとても大事みたいです。

そのあたりは友人の書いているこのブログが参考になるので、興味のある方はこちらをご覧ください。

たかだが12歳で将来のことを決めるのには無理があるとは思うのですが、それがオランダ式と言われれば従うしかありません。

とりあえず、グループ7でも各学校のオープンデーには行けるので積極的に行ってください、とのことでした。

国は違えど、オランダでも進路決定は親子の共同作業なんですね。

行って雰囲気を感じ取るだけでも意味があると、周りの友人からも言われており、私たちもそうするつもりなのですが、、、

またここでもオランダ語の壁が。

学校のウエブサイトもオランダ語、オープンデーに行ってもオランダ語、別にオランダ語が嫌なわけじゃないけど、すごく大事な場面でオランダ語で話を聞かなきゃならない、しかも夫は頼りにならない(オランダ語という面で)というのはかなりのハンデです。

もちろん知りたいことは英語でもなんでも聞いてしまえばいいし、教育移住という目的で自らオランダに来た以上これは覚悟の上なのですが、それでも頭と心が別々のことを思ってしまうのです。

そもそも、まだどのポイントをチェックしたらいいのか、何が知りたいのかすらわからない状態。オランダ語というより、ただただ、オランダ式-middelbare school-への進学、という大きな壁、新たな課題の前で呆然としている感じです。

話は戻りますが、

こんな大事なことを私1人で進めていくのはぜったい嫌だったので(もちろん、息子とは相談しますが)、ことの重大性を感じ取ってもらうために、今回は夫も同席させたのです。

それなのに、このだいじな後半の説明が始まる前に「俺、いても無意味だから帰ろうかな」なんて言って帰ろうとしてた夫。

まったく、とんでもない‼︎

帰ろうとした夫を引き止めたおかげで、その場の少し緊迫した雰囲気を肌で感じ、彼もことの重大さに気づいたようです。

オランダ語では協力できないけど、ほかのことで全面的にコミットしていく、と言ってました。

なんだか頼りないけど、、、協力的ではあるし、いやむしろオランダの教育システムってどうなの?という興味の方が大きい気もしますが、「我関せず」で私に丸投げされるよりはよかったです。

 

さてさて、一晩明けて現実を受け入れる準備ができたので、ぼちぼち学校のオープンデーから調べ始めようと思います。

やっと現地の小学校に入り、そこでの生活に慣れたと思ったらもう中学校への準備。

相変わらずめまぐるしく過ぎていくオランダでの生活ですが、また新しい扉を開けるチャンスだと思って、このフェーズも楽しみたいと思います。

 

 

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小さな一歩でも、振り返るとそこには道ができている

オランダで個人事業主になって1年。

ちょうど1年前の10月1日、ノリで?流れで?個人事業主(フリーランス)になることになり、KVK – Kamer van Koophandel(オランダの商工会議所)に行きました。

下の子を連れて、果たして本当に登録できるのか不安をいっぱいかかえて待合室で待っていたのが昨日のようです。

メインはピラティスのインストラクターとして働くことでしたが、夫の仕事のヘルプもしたりして、あっという間の1年間。

試行錯誤しながらのインストラクターのお仕事でしたが、いろんな人に助けられ、教えている私が一番楽しんでいました。

誰かに教えることで自分に足りないモノも見えてきて、もっと知りたい、もっとわかりやすく教えたい、と勉強欲が。

さらに私は、まずは何事も自分に落とし込まないと納得できないので、トレーニングの時間を増やして自分の身体にすごく意識が向くようになり、ますますピラティスの魅力にはまっていきました。

目標や目指すところができると、途端にエンジンがかかるのが私の特徴で、それからは生活にメリハリが出て、ちょっと嫌なことがあっても必要以上にイライラしなくなりました。(これは家族にとってかなりのメリットらしいw)

自分の世界を持つのって本当に大事。

ピラティスを教えて欲しい、と言って私にインストラクターとして働くきっかけをくれた友人には本当に感謝です。

その友人はスタート時から週1で私のレッスンに参加してくれていて、一番身体を変えた優秀で、真面目な生徒です(笑)

 

今年はもう一つ、自分の中でクリアした目標があります。

Inbrugeringというオランダ語の市民化統合試験に受かること。

永住権が現実のものとして見えてきた今年(移住4年目)、とりあえず条件が厳しくなる前に最低限必要とされているオランダ語の公式diploma(A2レベル)を取ってしまおうと決めたのが今年の7月でした。

オランダ語は、もうすでに語学学校でB2(このレベルの公式diplomaを持っていれば大学に入れるというもの)のコースを終えていて、もう少し勉強したら試験を受けようと思っていたところだったのでreading, writing, listening, speakingの科目はそれほど難しくありませんでした。

ただ、オランダの一般常識問題とオランダ労働市場についての課題とインタビューがなかなかの曲者でして、、、。

なので、全科目一発合格した時は、思わずガッツポーズ!

私が本当にほしいdipromaはこれじゃないのに、とか、なんでこんな課題やらなきゃいけないの?とか、文句ばかり言ってたし、途中で本当にめんどくさくて投げ出したくもなりましたが、今となっては「やってよかった」と思えるくらい、オランダのいろいろな側面(文化や慣習、システムなど)を知るいい機会になりました。

私はそれまでCV(職務経歴書)やカバーレターを英文ですら書いたことがなく、いきなりオランダ語でそれらを作らなくてはいけなかったのですが、まずは、CVとは?カバーレターとは?というところから調べ始め、日本語で大枠を作り、そしていろんな例を参考にオランダ語に訳すという気の遠くなるような行程を経たのでなおさら感慨深かったです(笑)

オランダ語をちゃんと勉強し始めて2年、目指すdiplomaにはまだ手が届いていないものの、面接官との一対一のインタビューで、40分間オランダ語だけで自分の仕事や就職活動について会話ができたことや、初めて公式Diplomaを得たことは自分の中で大きな自信につながりました。

このインタビューの後からは、この自信のおかげか、間違っていてもオランダ語で会話をするのが怖く無くなったんですから、不思議です。

自信って、子どもだけじゃなく大人も大事!

 

オランダ語も、ピラティスのインストラクターも、最初はほんの小さな一歩。

焦らず、急がず、目の前にあることを確実にやっていこうと続けてきた2つでしたが、ふと後ろを振り返るとそれなりに「道」ができていて、

「ああ、私は確かにここオランダに暮らしていて、ちゃんと歩いてきたんだ」

と思えたのが嬉しかった。

普段、あまり後ろは振り返らないんですが、たまには必要かもしれません(笑)

 

時には、誰かと比べて落ち込むこともあったし、

時には、やりたいことが見つからずにモヤモヤを周りに当り散らしていた時もあったし、

時には、結果を急ぎすぎて完璧を求めすぎて、できない自分を責めて悩んでいたことも。

 

でも、全てがつながって「道」になっていました。

これは、オランダに住んでいるから特別、なワケではなく、きっと日本に住んでいても同じなんだと思います。

でも、私にとってことしは、やっと、自分のために自分の時間を使うことができて、その結果がちゃんとでた1年だったんじゃないかな、と思うのです。

自分のために自分の時間を使う、あ、ついでにお金も。

これって、母になってからはなかなかできませんでした。

していいよ、と言われていた気もしますが、できませんでした。

いや、そうでないママたちもたくさんいるんでしょうが、少なくとも私は、オランダに来てからは必死だったので、そんな時間はありませんでした。

子どもの成長や、夫の理解や協力あってのこの「道」だけど、

自分で切り開いてきた結果でもあるんだ、思いたい。

ことしは年明けから災難続きで、辛いこと多すぎてもう踏んだり蹴ったりでしたが、頑張っていたらいいこともあるんですね。

 

いまは解剖学や整体など、身体のことをもっと勉強したいのと、リフォーマーピラティスの指導資格も取りたいと思い始めてしまったので、必然的にさらなるオランダ語の勉強が必要になってしまいました(苦笑)

何年かかるかわからないし挫折するかもしれない、途中で気が変わるかもしれません。

でも、最初の小さな一歩は必ず自分の歩いてきた「道」になる、と信じていたい。

だから、目の前にある面白そうなことから、またコツコツと努力の日々が始まりそうです。

さて、次に振り返るタイミングはいつになるでしょうか?

楽しみなような、怖いような(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

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同じ境遇の日本人だからわかりあえること

今年の春、ある日本人女性から移住に関する相談を受けました。

私も移住する前に現地に住んでいる方とSNSでつながり、その方に大変お世話になった経験があるので、そういう方のヘルプは出来るだけしたいと思っていました。ただ、私自身もまだ移住して間もないので無責任なことも言えないし、あまりに何も考えずにとりあえず移住について聞きたいという方も多く、じっさいにご相談を受ける機会が今までほどんどありませんでした。

そんな時、あるサイトを通じてAさんから移住について相談に乗って欲しいというメールをいただきました。

メールのやり取りの中で、きちんと移住について下調べもされており、移住する時期もきまっていてとても誠実な印象を受けたので、Aさんが渡蘭するタイミングでお話をさせていただいたのです。

その時はあまり時間がなく、必要最低限の事しかお伝えできなかったのですが、実際にお会いした時もとても好印象で本当に心から応援したくなるようなお人柄だったのを覚えています。

そのAさんが無事、この夏オランダに移住したのです!

一番の懸念だった住む家もちゃんと下見の時に見つけたおいたらしく、そこに住まいを構え、お子様たちも語学学校へ通い、ご自身もすでにオランダ語の勉強もはじめてらっしゃいました。

そんな話を、今日、数ヶ月ぶりに再会していろいろ聞いてきました。

オランダに住んでいる日本人はそこそこいるとは思いますが、オランダにあえて移住してくる日本人(子連れ)なんてそう多くない。

会社のヘルプもなく、オランダ人配偶者の知恵もない、そんな中で生活の基盤を整えることの大変さといったら!!

もう、本当に次から次にいろんなことが起こるし、はたまたいろんなことが滞るし、オランダに対する「?」がたくさん頭に浮かできて気が狂いそうになったのを思い出しました。

Aさんも、もれなく私と同じような状況の真っただ中にあり疲れている様子もありましたが、そんな中でもたくましく前を向いて移住生活のスタートを切っていました。

その様子に4年前の自分を重ね、心の底から共感しまくっていた私(笑)

右を向いても左を向いても、私の苦労なんて誰にもわかんないんだよ!って心の中で叫んでいたあの頃の私が、そこにはいたのです。

そうしたら、もう無条件に私自身が経験して得た知識や知恵はシェアしてあげたくなってしまって、おせっかいおばさんみたいにしゃべりまくってました(苦笑)

彼女の近況を聞いていただけなのに、いつの間にかそれに昔の自分を重ね、彼女の労をねぎらいながら過去の自分の労をねぎらっていたわたし。

どこまで図々しいんだ!と突っ込みたくもなりますが、そのおかげか?話し終わった後の爽快感と言ったら(笑)

かなり気持ちが前向きに明るくなっていました。

 

こういう方にこそ、私の経験は役に立つのかもしれない。

あの時、苦労しておいてよかった。

あの最初の1年で、私は自分の中の全ての基準を下げて、期待しない、がっかりしない、を覚えてオランダでストレスなく暮らすコツを得たのですが、、、

それだけじゃなかったんですね。

あの時の苦労や涙、無力感、焦燥感、イライラなど、あまり思い出したくない経験もこうして誰かの役にたつと考えると、無駄じゃなかったんです。

オランダにはいい部分もたくさんあって、住めば都というようにいまではどっぷりオランダ生活が板についてきたんですが、やはり最初はなんだかんだと大変でした。

 

何はともあれ、偶然お手伝いした方が同じような境遇で試行錯誤しながら移住生活を楽しまれている。そのことが、何か同士を得たような気がしてとっても嬉しかったのです。

これも何かのご縁、同じ日本人、助け合って暮らしていかないとですね!

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お休みの多いオランダの学校、自由の多さはクリエイティビティに比例する?

夏休みが終わってまだ1ヶ月も経っていないのに、うちの子ども達は4連休です。

オランダにはスタディーデーという先生たちのお勉強会の日が年に何回かあるのですが、うちの学校はなぜか土日とつなげる傾向があり、年に数回連休になります。

今回は木、金、と2日間もスタディーデーが重なったために4連休。

しかも上の子は、翌週月曜から木曜までスクールキャンプ、金曜は振り替え休日なので、かなり長いホリデーです。

そうでなくても2月はクロッカス休暇、4月はチューリップ休暇、10月は秋休み、それに加えて長い夏休みとクリスマス休暇、、、とオランダの学校はお休みが多い!

いくらライフワークバランスのいいオランダと言っても、そうそう子どもの休みに合わせて親が休めるわけでもなく、学童などで過ごす子どもも多いと思うのですが、我が家は幸か不幸か、お休みとなるとかなりべったり子どもと過ごすことになります。

今回はせっかく習い事の無い木曜日がお休みだったので、2人を連れてどこかへ行こうと計画していたところ、下の子が昨夜から発熱してしまいあえなく自宅待機に(涙)

夫も仕事のため、元気でピンピンしている長男がエネルギーを持て余してもう大変です。

まだまだ本調子でない弟を無理に公園に連れ出そうとするし、かと思えば1人でひっそり遊びたい弟にちょっかいを出して喧嘩になったり、、、

私はというと、外には出られないので事務仕事やオランダ語のテスト勉強でもしようととりかかるものの、いちいち中断させられて全く集中できず。

もう、なんでこんなにお休み多いのー!って心の中で叫びまくり。

 

オランダに移住したての頃、あまりのお休みの多さにびっくりして学校の先生や他の保護者にこのお休みの多さについて質問したことがあるのですが、みんな口を揃えて

「実にこのシステムは理にかなっている、良い慣習だと思うわ」

と言っていました。

なぜかというと、

学期が始まって6週間くらいすると子どもに疲れが見え始めるので、その頃に1週間(土日挟むと10日くらい)の休息を入れます。そうすると心身ともにリフレッシュされて、子どもたちは後半をまた元気にがんばれるそうなのです。

とにかく、子どもには無理をさせない、

ということらしいです。

なんて軟弱な!(笑)

そうでなくても、担任の先生の誕生日には授業そっちのけで公園へ行ってパーティーしてるし、水曜なんて半日授業なんだからもっと勉強してきたら?

って最初は半分呆れていましたが、

何もしないでぼーっとする時間や、勉強に追われることの無い時間、無駄なこと(と親には見える)に没頭する時間こそが、子どもの発想力を育て、ここぞという時に子どもが最大のパフォーマンス力を発揮できる秘訣なのかもしれない、と思うようになりました。

だってみんなとてもクリエイティブだし、自己表現が上手!

国語や算数のように点数で測れる学力も大事ですし、そういう点でいうと日本の小学生の方が優秀だと思います。宿題もよくこなしているあ、と本当に感心します。

しかも、親離れという意味では日本の子に比べるとオランダの子、特に男の子はいつまでもママにべったりなので、自立という意味でも大人に見えます。(それがいいか悪いかは別として、、、)

でも、本当にこっちの子はプレゼンテーションがうまい。

教育は学校だけでするものでは無い、という考えが日本にもあるとは思いますが、オランダではそれが日本よりも浸透し、実際に機能しているように思えます。

子どもの教育を学校に丸投げすることなく、親も一緒に協力して学校運営に参加するのはもちろん、こういうお休みの間に美術館へ行ったり、課外授業的な活動を家族ですることで子どもの見聞を広めたりしている家族もいます。

先生や親から指示されることが少ない、何をやるにも自由が一緒に与えられる状況は、考えようによっては難しかもしれないけれど、考えようによってはいかようにもクリエイティブになれる環境が備わっているとも言えるのです。

答えがひとつとは限らないこれからの世の中で、

もうみんなが全てを持っている中、新たな価値を生み出さなければならない今の世の中で、

誰かの指示を待つのではなく、決められた正解を暗記するのではなく、自由に発想して考えられるということはとても大事な強みだと思います。

しかもオランダは失敗した人たちに優しい。すぐに立ち上がってまたチャレンジできる土壌、温かい目があるので、失敗を恐れずにチャレンジできる。何度だってできる。

そんな背景があってのこのお休みの多さなのか??

と自分を納得させながらも、

でも内心、

もっと学校で勉強しておくれ、と思う日本人ママなのでした(笑)

 

明日こそどこかへ子ども達を連れ出さないと、、、と、

自由でストレスの少ない子ども達とは裏腹に、かなりプレッシャーを感じているのは気のせいでしょうか(笑)

 

 

 

 

 

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9歳の壁を超えた!?

新学期が始まって2週間が過ぎました。

おかげさまで、兄弟2人とも新しいクラスで楽しく過ごしているようです。

前回のブログでも書いたように、夏の男3人旅でいろいろ経験したせいか一回り成長した2人ですが、この夏、10歳になった長男の変化が私にとってはとても大きかったので備忘録としてここに残しておこうと思います。

まず、長男は生まれた時から手のかかる子というか、感の強い子で本当に心が折れることの連続でした。幼稚園の先生にも何度も相談したし、他のママ友みたいに心から可愛いと思えないこともあって、自分を責めたりもしました。

成長するにしたがって意思疎通が取れるようになると、それはそれでぶつかることも多く、自我の芽生えはじめる「2歳の壁」よりもむしろ、ここ最近の8歳、9歳の頃の彼とうまくやって行くほうが大変でした。

 

自分の意見をちゃんと言えるようになって、親の言うことに反抗することを覚えた2年前、ただでさえ理解不可能な男子なのに、さらに歯向かってくるようになった長男に腹が立ち、頭ごなしに怒鳴ったり、大人気ない態度をとったこともあります。

 

自分でできることが増えてきたけど、まだ自信もなくて母親にみていてもらいたい。

ちょっと不安だけど、できれば自分でやってみたい。

親の言うことには納得できないけれど、うまくそれを説明できない。

そういうことなら自分でやりなさい!と言っても、結局ママがやらないといけないことも多く、だったら最初から文句は言わないで!といつも思っていました。

子どもは親の所有物じゃ無いのに、、、。

そんな頃の彼との関わり合い方が一番難しかったように思います。

オランダに移住してきたのが彼が7歳の時。

オランダ生活に慣れ始めたけれどまだまだ緊張の連続で、自分の思い通りに生活できていない、相変わらずストレスの多かったあの頃、彼は順調に青年への階段を登り始めていていましたが、その変化に私がうまくついていけなかったのだと思います。

「本来、子どもは別人格で親が操れるものではない」と頭ではわかっていたものの、自分のコントロールの範疇からでていこうとする我が子にどう対応したらいいのか、ほとほと困り果てていました。

正直、今となっては具体的に何が大変であんなに悩んでいたのか、あんなにストレスフルだったのか詳しく思い出すことはできないのですが、「ああ、これが9歳の壁ね」と感じたのは覚えています。

 

そんな彼が、10歳を境にとても落ち着いてきました。

というか、扱いやすくなってきた(笑)

意見してくることも筋が通っているし、

親の言うことも理解できるようになってきたし、

自分だけでできることが増えてきて自信がついたせいか、安心して任せられることが多くなってきました。

そう、なんとなくちゃんと別人格として私が長男のことを扱えるようになってきたのです。

もちろん、まだまだ10歳。

親が目をかけて、たまには口も出さなければならない年頃ではあるので遠くから見守るスタンスではいますが、手を出してあれこれやってあげることはめっきり減りました。

 

子供によって「9歳の壁」も「10歳の変化」も違うと思いますが、

うちの子に限っては、小さい頃から人見知りでママのそばから離れず、いつもママの陰に隠れていてなかなか自ら輪に入っていくことをしなかった子が、いつの間にか輪の中心にいるような子になっていたし、

いつも自信がなくて、失敗が怖くて、自分から何かを始めたり挑戦することを避けていたのに、やったことはなくても面白そうだからやってみたい、と失敗を恐れずにチャレンジするようになりました。

今まで少しも彼の中に見ることがなかった「自信」というものが、10歳を機に姿を現してきたのです。

小さい頃から彼のこのキャラクターは「自己肯定感」が無いからなんだ。そしてそれは母親の私のせいだ、と常にプレッシャーを感じていました。

自己肯定感とまではいかなくても、彼の中に今までの経験から自信が蓄積されてることは確かなようで、会話のはしばしにもそれがわかるようになっていきました。

たまたま彼のその変化に気づいたのが10歳のバースデーあたりだったこともあり、これが9歳の壁を超えたってこと?と気づいたのですが、母親になって10年、彼の母になって10年、やっと達成感というか開放感というか、一つ通過点を超えた感じがしてなんとも言えない気持ちです。

この10年の苦労が報われたという感じでしょうか。

とにかく、これからの10年が今までの10年よりも私と長男にとって「心地いい10年」になるよう、願ってやみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

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