「シンタクラース」で気づかされた母性の存在

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今朝、長男のクラスの学習発表会を見てきました。

毎年クラスごとにやる発表会で、日本でいう学芸会のようなもの。

テーマはクラスごとに決めて良いらしく、今年はこの時期ということもあって「シンタクラース」がテーマでした。

内容は割愛しますが、お兄さんらしくちょっと自治ネタも取り入れたり、ハーグのBinnenhofやユトレヒト市内の美術館にロケに行って撮影したVTRを使ったり、歌やダンスも披露したとても面白い寸劇(!?)でした。

 

そこで驚いたのが、我が息子がとてもしっかりと役を演じきっていたこと。

もちろん去年もやりましたが、確か、短いセリフがひとつくらいだったような。

それでも大勢の前でよくやった!と大満足だったのですが、今年はそれに輪をかけてちゃんと通じるオランダ語でいつくもセリフを言い、踊って歌って、とても堂々としていました。

 

で、本題はというと、、、

それとは別に、日本人だということを忘れるくらいオランダ人のお友達の中に溶け込んで楽しそうにしている彼を見て、なんだかとても胸が熱くなってしまったのです。

もともと薄い母性が刺激されたというか(笑)

大きくなったなぁ、、、。

としみじみ実感してしましました。

そういえば、最近ではなんでも自分でやるようになり、今までママと一緒にやっていたことも一人でやるように。

嬉しいような寂しいような、そんな気分を初めて味わいました。

もちろん、ちょっと生意気というか、プレ反抗期という年頃ということもあり、注意したことも右から左に聞き流したりする技も覚えてムカつくことも多いのですが、

家族や家、以外での自分の居場所(コミュニティー)を作り上げていっている彼の背中を見ることが多くなったのは事実です。

 

生まれた時から、長男に対しては「早く自立して」「早くママ離れしてほしい」と願わない日はなく、

どうしてこんなになんでも「ママ、ママ」なんだろうと本気で悩み、幼稚園の先生にも相談したことも。

そんな自分を、周りの「やさしい男の子のママ」とは違う「母性のない鬼ママ」だと自覚したのはいつだったかな。

次男が生まれたことで逆に余裕ができたのか、初めて長男に対しても母性を感じたの彼が5歳の時。

何がきっかけだったか、もう忘れましたけど(笑)

それから約4年。

この間、私は子どもたちによって「親」というものに成長させられ、同時に私の中の母性も育まれてきたのかもしれません。

それが、今日感じた「ちょっと寂しい」につながるのかな、と。

 

いたらいたで面倒だし、ついつい口うるさくしてしまうのに、

一人でできるから、と送り出した後に「大丈夫かな」「どうしてるかな」と心配ばかりしてしまう。

うっとおしいくらい、くだらないことを延々と話しかけてきてイラっとするかと思えば、こちらが話しかけても適当にあしらわれたり、自分の世界に入ってろくに話さずに部屋に行かれてしまうと物足りない(笑)

母親というものは、結構面倒なものですね。

 

9歳というと、児童から青年への移行期であり、個として自立度を高めた子供が集団でより大きな課題に取り組めるようになる時期でもあります。

大人びたところと、まだまだ子どものところが混じり合ったお年頃。

なかなか難しい年頃ですが、

「あの子なら大丈夫」と信頼して遠くで見守りながらも、何かの時にはすぐに手を差し伸べられる距離に居てあげるのが、親の務めなのでしょうか。

子離れなんて私にはそもそも必要ないと思っていましたが、(もともとくっついてないからw)子離れ準備は意外と私にも必要なのかもしれません。

 

そんなことをふと考えた、シンタクラース一色のオランダの夜でした。

明後日12月5日は、シンタクラースからプレゼントが届く特別な日。

まだまだシンタクラースを信じてプレゼントを待ちわびている、かわいい9歳と4歳の男の子のためにも、仕事がたくさん残ってます!

9歳の子は本当に心から信じているかどうか、、、わかりませんけどね(笑)

 

 

 

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