天に帰っていった大切な家族

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2017年8月16日、私は完全流産というとても悲しい出来事を経験しました。

天に帰っていった我が子のため、

自分の気持ちの整理のため、

あの子が確かにお腹にいたことを残すため、

そして、私がそうしたように、私の経験が他の誰かのためになるよう、

ここにきちんと事実を記しておこうと思います。

 

その日、私はスペインのカタルーニャ地方に家族でバケーションに来ていました。

8周目の健診で心拍も確認でき、経過も順調、つわりもだいぶ和らいできていたので予定どおりバケーションを楽しんでいたのです。

 

異変が起きたのは8月12日の朝。

少量の茶オリがおりものシートについているのを発見。

念のため、横になっていたら止まったものの、少し動くとまた少量出る。

茶オリは過去の出血が酸化して出てきたもの、少量であれば問題ない、といろいろなサイトに書いてあったものの、心配だったのでベッドで安静にすることに。

 

翌日8月13日。

出血は止まり、腹痛もなし。

予定通り、車で1時間ほどの海まで行く。

暑さのために多少だるく感じたものの、体調は悪くない。

しかし、レストランのトイレで昨日よりも量の多い茶オリが出ていることに気づく。

相変わらず腹痛のようなものはないものの、すぐに帰宅して再び安静に。

 

8月14日。

量は減ったものの、茶オリというよりも茶色の出血が続く。

卵巣あたりがつるような感じや、軽い生理痛のような痛みが出る。

トイレと食事以外はベッドで安静。

 

8月15日。

出血の量が増え始める。

色も茶色から茶褐色(少し赤みの強い色)に変わる。

腹痛も少し強くなり軽い腰痛も感じる。

出血の色の量が変わってきたので、念のためオランダのかかりつけの助産師に電話する。

とりあえず様子を見て、変化があるようなら再び電話をするように指示される。

夕方から、重い生理痛くらいの痛さに変わる。

痛さの波が5〜10分おきにくるようになる。

不安に耐えながらも少し眠ることができた。

 

8月16日

深夜2時、目が覚めて何かが出てくる感じがして慌ててトイレに駆け込む。

生理2日目くらいの量の鮮血が出ていて驚く。

この時、初めて茶色の出血から鮮血に変わる。

トイレに座った途端にポタポタと鮮血が流れてくる。

 

ここで初めて、流産を覚悟する。

 

寝ている夫を起こし、多量の鮮血と腹痛のことを報告し、流産を覚悟してほしい旨を伝える。

夫は飛び起き、ベッドで寝ている私のところへやってきて痛みに耐える私の体をさすってくれた。

その間も痛みはどんどん増していき、何度かトイレへ行く。

その度に多量の出血と血の塊がポチャンポチャンと便器にお落ちていく。

5センチくらいのものから5ミリほどの小さなつぶつぶの血の塊が何個も。

お腹の痛みと多量の出血、この中に我が子がいるかもしれないとは薄々気づきながらも、なすすべなく、悲しいを通り越して天を仰ぐばかりの私。

頭も心の空っぽで、とにかくこの痛みから逃れたかった。

生理用ナプキンを持ち合わせていなかったため、下の子のオムツで応急処置。

その後も痛みは増していき、陣痛のように下から突き上げるような痛みが何度も襲ってきた。ついに我慢できなくなって、夫の手を強く握りながら「痛い、痛い」と繰り返していた。

そして、その痛みの後、何度目かのトイレへ。

再び血の塊と多量の出血。

しかし、この後から痛みがスッと和らぎ、出血も落ち着いてくる。

今思えば、あの最後の塊の中に我が子がいたのだと思う。

 

この日はオランダへ帰る日だったので、痛みの和らいでいたこの間に荷造り。

夫が念のためにバルセロナの救急病院を探してくれる。

いつでも受け入れオッケーだとわかり、早々に宿を後にする。

この時、午前7時半。

 

あまりの痛さと出血の多さに、もしかしたら帰れないかも、という不安がよぎったが、幸いなんとか移動できる状態になり、ひとまず車に乗る。

移動中に再び助産師へ連絡。

「病院へ行っても処置は何もできないだろう、今の状態であればオランダへ帰ってきたほうがいい。どうしても心配であれば病院へ行っても構わない、それはあなたに任せる」

「もし、空港へ直接向かうとしても、容態が変わるかもしれない、飛行機に乗る前にもう一度電話をして出血の量や腹痛の度合いを教えてほしい」と言われる。

とりあえず、私は一刻も早くオランダへ帰りたかったし、痛みも我慢できるほどになっていたので空港へ直行することにした。

そして2時間後、空港到着。

助産師に状況報告。

その時に初めて、彼女の口から、

「流産を覚悟しておいてほしい」と言われる。

 

覚悟はしていたつもりだったが、助産師という専門家の立場から宣言されるとズシンとくるものがあり、我慢しようと思っていても涙が溢れてきた。

 

よりによってその日のフライトはアムステルダムの天候不良のために2時間delay  。

もうこれ以上私を苦しめないでほしい。

またいつ、あの痛みと多量の出血がやってくるかもわからない。

とにかく、とにかく早く帰りたいと思いながら重い体と心で飛行機を待った。

 

そしてやっと自宅に帰宅。

すでに19時近かった。

出血は生理3日目くらいになり、腹痛は大分軽くなって軽い生理痛くらいになっていた。

健診は翌日17日(もともとこの日に12周健診が入っていたため)ということになり、とにかく安静にするよう努めた。

ただ、つわりもなくなり、体もだいぶ軽くなり、もうお腹の中に赤ちゃんがいないということを体が教えてくれているようだった。

ただ、

エコーで確認するまではわからない。

もしかしたら、不要なものだけが出て赤ちゃんは元気かもしれない。

そんな奇跡が待ってるかもしれない。

無理やりにでもそう信じていないとやりきれないほど、虚無感に襲われていた。

 

そして8月17日。

この日ほど時間が経つのが長く感じられた日はなかった。

午後、エコーで完全流産を確認。

何も映っていない自分の子宮を見て、そうかもしれないと覚悟はしていたものの、初めは何が何だか分からかった。

あのとき見えていた私の赤ちゃんは?

あのとき動いていた心臓は?

もう何もない。

空っぽ。

 

ゆっくり、そしてかなしそうに、でもはっきりと、

この状態は妊娠12周の子宮じゃないわ。

もう何も残っていない。

もう妊娠してないのよ。

完全流産をしてしまったの。

そう、助産師さんが教えてくれた。

「私の赤ちゃんは、あの血の塊と一緒に流れて行ってしまったのね」

そう口にした途端、涙が溢れてきて言葉にならなかった。

あの時だ、

なんで見つけてあげられなかったんだろう、

なんで受け止めてあげられなかったんだろう、

後悔が波のように押し寄せてきた。

助産師さんが、優しく私をさすってくれたから余計に涙が止まらなかった。

 

夫も子どもたちもそこにいたのでなんとか気を取り直したが、

やはり帰りの車でも、自宅に帰ってからも、考えれば考えるほど涙が止まらなかった。

そんな私を、夫は

何も心配しなくていい、

きみの体が一番大事で、

きみはそこにいてくれるだけでいい、

心も体も大変だったね、おつかれさま。

と慰めてくれた。

 

長男は、

ママのためならなんでもするから、と言い、私の手となり足となり、いろいろお世話を焼いてくれた。

1人になりたいと言ったら、そっと部屋を出て行ってくれた。

気にしなくていいよ、と生意気なことも言ってくれた。

 

ここまでが、突然の異変から完全流産に至るまでの一部始終です。

 

12週未満での流産は、胎児のほうに異常があった場合が多く、受精卵がその寿命を全うしたら自然と体から出て行くようになっているのよ、だから自分を責めないでね。

そう、助産院では言われました。

 

そうか、私の赤ちゃんは、寿命を全うして天に帰っていったんだ。

そう思うと、なぜか少しだけ心が軽くなりました。

 

私の場合、完全流産と言って子宮の中の内容物(胎児やできかかっていた胎盤など)が全て出てしまったので手術は必要ないらしく、出血も時期収まるので、無理のない範囲で普段通りの生活に戻れ流と言われました。そして、また生理がやってきたら子作りを再開してもいいわよ、とも。

なんども言われた、「自分だけを責めなくていい」というセリフ。

そういう運命の子だったんだ。

そう思うともう、自分を責めて泣くことはないけれど、やっぱり、天に帰っていった我が子のことを思うと自然と涙が出てきてしまいます。

 

でも、あの子は私にいろんなことを教えてくれました。

不妊治療でしか妊娠できなかった私に、自然妊娠ができることを教えてくれたし、

子を授かり、無事に生まれることがいかに奇跡の連続なのか、ということも教えてくれました。

そして、家族の優しさや大切さも。

あんなに待ち望んでいた赤ちゃんがいなくなってしまって、彼らもがっかりしたはずなのに、みんな私の体のことを一番に考えて本当に優しくしてくれて、、、。

 

悲しい出来事だっだけど、人生で起きることで意味のないことなんて一つもないんです。

 

最後に、子どもたち2人には、あなた達にはもう1人兄弟がいたことを決して忘れないでね、と伝えました。

そう、私には確かに3人の子どもがいたのですから。

 

これから少しづつ時間をかけて、心の整理をしていきたいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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天に帰っていった大切な家族 への2件のフィードバック

  1. umeboshihead のコメント:

    はじめまして。いつもはmayoshidaさんのご主人のブログをちょくちょく読ましてもらっている者です。
    先日、奥様もブログをやっている!とのことで早速読んでいきました。
    そしてこの「天に帰っていった大切な家族」を読み、何か私も伝えたかったので書かせていただきます。

    まず、流産という凄まじい経験をこうしてブログに書かれたこと、凄く尊敬します。きっと書くまでには色々悩まれたことと思います。
    私は今、体外受精での不妊治療中です。40歳になりラストチャンスと思ってしています。私は今のクリニックの説明会で言われたのが、子供は本来自然に妊娠します。でも出来ないのにはどこかしら異常があります。流産ももちろんありますが、それは神様がその子は人間としてはできないから天国に送っていくのだと言われました。妊娠も流産の経験もない私ですが、妙に納得したのを覚えています。だから毎回治療が失敗に終わるとき、仕方なかったのだな、と思うようになりました。
    ここまで来るのに10年間かかりました。初めは周りを妬み、悲しみ、自信を失っていました。今でも結果が駄目なときはもちろん落ち込みますが、人間凄いもので(笑)回復力はつきました。人として人生を悲しんでばかりの人生にはしたくないと思うようになりました。
    女性にはきっと皆それぞれ、何かしらの悩みや葛藤があると思います。
    それをこうしてオランダから、日本からシェアできることは素晴らしいと思います。
    私から言うのもなんですが、がんばってください。

    また、オランダでの生活ぶり、ブログで楽しく拝見させていただきます。
    お互い笑って過ごしていきましょうね。

    • mayoshida のコメント:

      umeboshiheadさん
      コメントありがとうございました。
      この記事は、気持ちの整理のつもりでひっそり書いたものだったのでコメントが来るとはおもわず遅くなりすみませんでした。
      私も今の息子たちは不妊治療で授かりました。
      なので、不妊治療の辛さも知っています。そして今回、自然妊娠の喜びもまた、流産の悲しみも知ることになりました。
      その時はショックで放心状態でしが、今思えば人の経験出来ないような経験をすることができたのは、今後絶対にプラスになると前向きに思っています。
      不妊治療は、体も精神的にも本当にお辛いことが多いと思いますが、全ては意味のあること、と思ってこれからも頑張ってください。
      こうして悲しみや辛さを共有できたのも、天国へ帰って行った我が子のおかげなのだと思います。
      主人のような、真面目でためになることは書けませんが、
      また少しづつブログを書いていこうと思いますので、おヒマな時に覗きにきてください。

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